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競争を生き抜く「タフさ」と複数が選べる「ゲームの多様性」
理事長 学校の選択肢は増えているように見えますが、それが結局は偏差値による序列に回収されてしまうという問題があります。苫野先生は、ここで「序列化を伴わない多様化」という言葉を使われていました。
苫野 いろいろな選択肢があると言われますが、結局は序列化を伴った選択肢になっている。だから、序列化を伴わない多様化というビジョンを、大きなものとして共有してもよいのではないかと思っています。
社会には多様なゲームがある。自分が選んだ、自分が活躍できる、自分が好きなエリアで、存分に自由を謳歌できるようにする。そういう社会にしていくなら、それに応じた受験システムも必要になります。もしかしたら、受験自体が全く変わるかもしれません。偏差値的な序列だけで人や学校や進路を見てしまうと、本当の意味での多様化にはなりません。
南風原 ただ、理想と現実を近づけなければいけないと思います。苫野先生が「序列化のない多様化」と言われましたが、スポーツや芸術を考えても、それぞれのカテゴリーの中には、ものすごい序列化や競争があります。
たとえば野球であれば、プロ野球の一軍に残るためには各チーム31人の枠があり、日々そのために二軍、三軍の選手たちが競争している。
東京大学からプロ野球に入った宮台康平さんも、東大を出て野球一本で行くということで野球界に入ったけれど、一軍での登板は数試合だけで引退された。その序列と競争の中では負けたわけです。これが現実です。宮台さんはその後努力して司法試験に合格して、今度は弁護士としてやっていこうとしている。ここにもまた新たな競争があるだろうと思います。
競争のない世界、序列化がない世界なんてなくて、競争があって、序列があって、それをどう受け止めて、その結果をどう受け止めて、どう幸せになるか、自己を実現していくか、そういうタフさを育てる方が実際の話じゃないかなと。「序列化のない」と言っていては、それが実現できないんじゃないかなと思います。
苫野 すごく大事な問題提起をしていただいたので、私の考えをお話ししたいと思うんですが、序列化の伴わない多様化というのは、要するにゲームはいっぱいあるということなんですね。1つじゃないということが言いたい。そもそも序列化することがナンセンスな多様な選択肢が、いくつもある。プロ野球と司法試験もそうですね。そもそも序列化できない選択肢です。で、そのうちの1つに、自分で選んで入ったなら、たとえその中で競争があっても納得感があるでしょう。それでそこで思うようにならなかったら、また他の選択肢もある。プロ野球から司法試験に移るように。そういうことが、受験においても大事だと思うわけです。そもそも序列化することがナンセンスな多様な選択肢があることが大事、というわけです。

専門性を選ぶことは、子どもの自由を広げるのか(会場からの質問の一部を紹介)
質問者 私は、音楽科、美術科、スポーツ科、普通科を持つ公立学校で教育に関わっています。複数の専門性があることは、最初は子どもの選択肢を広げるものだと思っていました。
しかし実際には、専門性に特化することで、かえって子どもの生きる力や将来の選択肢を狭めているのではないかと感じることがあります。たとえば音楽や美術、スポーツの道は、経済的な自立と結びつきにくい場合もあります。
一方で、なんとなく大学に行き、企業に入り、安定した収入を得ようとする進路選択にも、現実的には理解できる部分があります。専門性を伸ばす理想と、経済につながる現実とのさじ加減をどう考えればよいのでしょうか。
苫野 これは社会設計の問題になってくると思います。教育学者の佐藤学さんが、30歳くらいまでは何度でもやり直しが利く人生、そういう社会にしていこうということを言われていました。本当にそうだと思います。若い人たちがチャレンジできる社会にしなければならない。だから、いくらでもチャレンジしていい。失敗したら、もう一回やり直せばいい。そういう社会にどうしていけるかを考えなければならないと思います。もちろん、言うは易しです。けれども、「ここを目指そう」と言わなければ、ロードマップはつくれません。まず、そのコンセンサスを取る必要があると思っています。
総括──資本主義の文化的矛盾を越えて
理事長 最後の「やりたいこと(文化)」と「食べていくこと(経済的効率)」の矛盾については、たとえば私は実際に、パラセーリングなどのマイナースポーツと言われる分野のエキスパートの方々とお話しすることがあるのですが、どれだけ技量を上げても、なかなか食べていけないという問題に行き着くことがある。カテゴリーそのものに、メジャー、マイナーという差があり、今の日本、あるいはグローバルな経済の中では、どうしても人気があるもの、メジャーなものに行かないと、食べていけないという問題があります。
生物であれば、モグラでもゾウでもミミズでも、それぞれの生き場所があって、それぞれなりに食べていけるのかもしれません。でも、今の社会では、人気や市場規模によって生きやすさが左右されてしまう。
ダニエル・ベルが『資本主義の文化的矛盾』で言っていたことにも関わると思います。経済的な効率と、自分のやりたいことという文化的な価値は、ときに矛盾する。その矛盾を扱おうとすると、分配をどうするのかという政治的な話も絡んでくる。そうした矛盾をどう克服するのかという問題が、いよいよ前に出てきているのだと思います。
RESとしては、まさにこうした問題をお互いに知り合い、議論できる機会を提供していきたいと思っています。AIのようにメジャーだから議論するということではなく、一見今の世の中ではマイナーに見えることであっても、本質的なものに触れ、真剣に考えられる場には意義がある。これからも、そういう場をつくっていきたいと考えております。