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イベントレポート

RES輪読会 vol.5 評価、働き方改革、テストのあり方を、多様な教育実践者が議論:鈴木大裕 著『崩壊する日本の公教育』【イベントレポート】

2026年6月6日、鈴木大裕 著『崩壊する日本の公教育』を題材とした輪読会を開催。今回の輪読会には、学校、学習塾、教育行政、教員養成、メディアなど、さまざまな現場で教育に携わる参加者が集まりました。会の前半では本書の概要を共有し、後半では、本書から生まれた問いをもとに意見を交わしました。朝8時から始まった、約2時間の輪読会です。
議論では、教育のサービス化や評価の数値化、教員の働き方改革、学力テストの役割、共通性と多様性など、多岐にわたるテーマが取り上げられました。

教育が「サービス」になることへの問題提起

はじめに、進行役から『崩壊する日本の公教育』の概要が紹介されました。本書が描くのは、新自由主義的な価値観や政治的な介入によって、日本の公教育が何を失いつつあるのかという問題です。進行役は、本書について、具体的な未来像を詳細に提示するというよりも、現在の公教育に対して強い問題提起を行う「アンチテーゼ」として書かれていると説明しました。

その中心的な論点の一つが、教育の「サービス化」です。

教育を将来の利益を得るための投資と捉え、生徒や保護者を顧客、教員をサービス労働者、教育委員会をカスタマーサービスとして扱うようになると、教育の価値は、どれほどの成果を生み出したかによって判断されるようになります。進行役は、本書の問題提起を次のように要約しました。

「教育はサービス業になってしまった」

この考え方のもとでは、生徒の学力はテストの点数として、教員の指導力は生徒の点数をどれだけ伸ばしたかによって評価されます。「何を教えるか」よりも、「何ができるようになったか」が重視され、教育の成果が比較可能なパフォーマンスとして扱われていきます。

本書では、一人ひとりの子どもがコンピューターに向かい、それぞれの能力に応じて提示された問題を解く教室も描かれています。個別最適化された教育は、一見すると、子ども一人ひとりを尊重する仕組みに見えます。しかし、教員の役割が端末の不具合への対応や、集中力を失った子どもへの声かけに限られていけば、教師が自ら教育を構想する余地が失われるのではないかという懸念が示されています。

また、生徒指導のマニュアル化や外部機関への委託が進むことで、教員が自らの専門性を手放していく危険性も指摘されています。

政府が教育の方向性を決め、教員がそれを実行するだけになる「構想と実行の分離」も、本書が批判する問題の一つです。現場が、目の前の子どもに何が必要なのかを考えられなくなれば、教員は教育をつくる人ではなく、決められた教育を提供する人になってしまいます。

一方、本書の最終章では、制度や数値からこぼれ落ちるものを受け止める「隙間」や「遊び」の必要性が語られています。互いに支え合える関係を残し、子ども自身が新しい空間をつくれる教育の可能性が示されました。

進行役は、本書の訴えを次の三つの問いにまとめました。

「子どもたちは今を生きているか」

「自分の頭で考えることを許されているか」

「自分で決めた道を進んでいるか」

本書への共感と違和感

本書の概要を共有した後、参加者がそれぞれの感想を語りました。最初に、ある参加者から率直な言葉が出ました。

「この本を読んだ感想は、げんなりした、です」

この参加者が感じたのは、本書の問題意識への反発ではありません。新自由主義や政治を「敵」として設定するだけでは、公教育をどのようにつくり直すのかという議論には進めないのではないか、というもどかしさです。

「誰かが決める公教育という発想をしている限り、いつまでもよい方向にはいかないと思います」

公教育のあり方は、文部科学省や政治家だけが決めるものではありません。社会を構成する一人ひとりが、自らの教育観や社会観、人生観を問い直しながら考える必要があるのです。

一方、別の参加者は、本書を読みながら「胸が痛かった」と振り返りました。その参加者は、これまでの教育改革を前向きに評価し、応援してきた立場でした。本書を通じて、自分が支持してきた改革が、学校や子どもにどのような影響を与えてきたのかを考えさせられたといいます。

ただし、過去の改革をすべて否定するのではなく、「なぜ現在のような状況になったのかを考える、新しい視点を得た」と語りました。

学校現場に関わる参加者からは、本書が、競争や成長を重視する教育への違和感を言語化した点を評価する声がありました。その一方で、本書について次のような疑問も投げかけられました。

「今の状況がよくないことはわかります。しかし、ではどうすればよいのかというところまで、十分に踏み込めていません」

このような本書の批判を受け止めながら、「では、自分たちはどうするのか」を考えることが、輪読会後半の議論の出発点となりました。

教員の働き方改革をどう考えるか

最初の大きな議題となったのは、教員の働き方改革です。進行役は、公教育を崩壊させない働き方改革と、子どもへの望ましい向き合い方を両立できるのかと問いかけました。

教育行政に関わる参加者は、「公教育=学校」と捉えること自体に限界があると指摘。保護者対応を教育委員会や行政が支援すること、部活動を地域へ展開することなど、学校が担っている仕事を社会全体で分担する必要があるという意見です。

「教員の一丁目一番地は、やはり授業です」

教員が授業に集中するためにも、学校だけですべての教育課題を抱え込まない仕組みが必要だと語られました。

これに対し、学校現場を知る参加者からは、職員室の業務改善に関する意見が出ました。ショートカットキーや表計算ソフトを活用すれば、短縮できる仕事があります。学校行事も、毎年一からつくり直すのではなく、仕組み化できる部分があるのではないかという指摘です。

「学校には、もっと効率化できる仕事がたくさんあります」

しかし、この発言に対して、別の参加者から異論が出ました。

「子どもとの向き合い方は、ビジネスのように効率だけでは語れないのではないでしょうか」

一定の時間に、一定の品質の商品を生産することと、子どもと向き合うことは同じではありません。教育にビジネス的な効率の考え方をそのまま持ち込むことへの懸念が示されました。

一方、詳しい解答や解説が付いた教材があるにもかかわらず、すべて手書きで資料をつくることは、本当に必要なのかという問いも出ました。既存の教材を利用して生まれた時間を、授業準備や子どもとの対話に使う方がよい場合もあります。

「単純に、効率追求が悪いという話でもないと思います。一面的な反対論だけでよいのでしょうか」

議論を通じて、効率化を進めるか、避けるかという二者択一ではなく、何を効率化し、そこで生まれた時間を何に使うのかを考える必要があることが確認されました。

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