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イベントレポート
1年生がつくるオープンスクール FC今治高等学校里山校で見えた「任せる」教育【イベントレポート】

愛媛県今治市のFC今治高等学校里山校(通称:FCI)で、1年生が中心となって企画・運営するオープンスクールが行われました。司会進行、参加者への声かけ、会場内の誘導まで、生徒たちが自分たちで判断しながら場を動かしていきます。予定通りに進まない場面もありましたが、大人がすぐに前へ出ることはありませんでした。学園長を務める岡田武史氏の講話と、当日の生徒たちの姿から、同校が日常の中で育てようとしている「主体性」のあり方を追いました。
取材・文=RESmedia編集部
開始直前まで、生徒たちが決める
「12時20分になったら、それぞれの位置に移動お願いします」
オープンスクール開始前。会場では、1年生たちが最後の打ち合わせをしていました。荷物はどこに置くのか。オープニング中に誰がどこへ移動するのか。終了後はどこに集合するのか。寮見学に同行するメンバーが会場を離れている間、残ったメンバーは何をするのか。
一つずつ確認していきますが、すべてが事前に決め切られているわけではありません。
「道案内する人を1人置いた方がいいんじゃないか」
「授業体験の誘導係は決まっていますか?」
「学校説明会の時はどこにいればいいですか?」
その場で質問が出て、必要なことはその場で相談しながら決めていきます。
印象的だったのは、リーダー役の生徒が、細かな手順よりも先に目的を共有していたことです。
「一番の目標は、来てもらう人に楽しんでもらうこと」
その目的を考えれば、何をしてよくて、何をしてはいけないかは、自分たちで考えられるはずだと話します。また、一人の振る舞いが学校全体の印象にもつながることを意識してほしいと仲間に伝えていました。
最後は、生徒たちが円陣を組みました。
「来てくれる人を楽しませることも一番なんですけど、僕たちが楽しんで、このオープンスクールを、もっといいものにできるように頑張りましょう」
「オー!」
声を合わせると、それぞれの持ち場へ向かっていきました。

円陣を組む生徒とコーチ
まずは「学校説明」ではなく、会場をほぐす
オープニングの司会も生徒が担当しました。
自己紹介を終えると、最初に行われたのはカリキュラムや進路の説明ではなく、参加者同士のアイスブレイクでした。参加者、保護者が3〜4人のグループになり、3分間で「自分たちの共通点」をできるだけ多く探します。
「何個見つかりましたか?」
司会の生徒が問いかけると、「10個」という声が上がります。それ以上見つけたグループもありました。
続いて、名前や出身地、最近ハマっていること、「もし1億円が当たったら何をするか」といったテーマで自己紹介。その後には「日常の幸せ」を書き出す時間も設けられました。
寝ること、ご飯を食べること、スポーツをすること。
正解のない問いをきっかけに、自分のことを話し、初めて会った相手の話を聞きます。開始直後の緊張した空気が、少しずつほどけていきました。
もちろん、進行がすべて予定通りだったわけではありません。時間が押す場面もあれば、紙の配布に手間取る場面もあります。それでも、司会の生徒だけでなく、周囲の在校生がその都度動き、場をつないでいきます。
決められた役割をこなすだけではなく、その瞬間に必要なことを見つけて動く。開場前の打ち合わせで共有されていた「来てもらう人に楽しんでもらう」という目的が、ここでも一つの判断基準になっているように見えました。

司会進行も生徒が行った
岡田学園長も、出番を知らされていなかった
この日の象徴的な場面の一つが、岡田武史学園長の登壇でした。
岡田氏は壇上に立つと、笑いながらこう切り出しました。
「相変わらずなんですけど、さっきまで何時から何をするかも教えてもらえないという。とにかく来いって昨日言われて飛んで来ました。そしたら今、話せって言われて」
学園長でありながら、自分が何時から何をするのかを直前まで知らされていなかったといいます。
これは、単なる連絡不足と見ることもできます。ただ、この日ここまで見てきた生徒たちの動きと重ねると、少し違った見え方もしてきます。
その気になれば、大人が先に予定を決め、進行を細かく管理することはできます。まして岡田氏は学園長です。それでも、オープンスクールをどう動かすかという判断の多くは、生徒側に置かれていました。
うまくいかないことが起きた時に、大人がすぐに取り上げるのではなく、生徒たちがどう立て直すのかを見る。学園長自身が「知らされる側」に回っていたというエピソードは、この学校で判断がどこに置かれているのかを象徴する一幕でもありました。
「行く先まで自分で決める」のが主体性
岡田氏は講話の中で、「自主性」と「主体性」を明確に分けました。
自主性とは、学校や組織、社会が求めていることを、自ら進んで行うこと。一方で主体性とは、「行く先まで自分で決めること」だといいます。
言われた仕事を率先してこなすことと、そもそも何をすべきかを自分で判断することは違います。この日の1年生たちは、まさに後者の経験を何度も重ねていました。参加者が困っていたらどうするか。人が足りなければ誰が動くか。予定が押したら何を調整するか。
一つひとつは小さな判断です。しかし、その小さな判断を大人が先回りして奪わないことが、結果として生徒たちに考える機会を生み出していました。
岡田氏は、これからの社会では、その力がより重要になると話します。生成AIの進化や気候変動などによって、過去の経験や知識だけでは答えの出せない問題が増えていきます。
「こういう時どうしたらいいんですか?と聞く相手がいない時代を君たちは生きていかなければいけない」
その時に必要なのは、「自分で考えて、自分で判断して、自分でやってみる」ことだと語りました。ただし、自分で判断すれば、当然失敗も起きます。
「自分でやると、大体半分失敗するんだよ」
岡田氏は、これからは失敗しない方法を教わるのではなく、やってみて、失敗し、そこから学ぶ「エラー・アンド・ラーン」の時代になると話しました。

岡田学園長。直前までいつ何をするのか知らされていなかった
大人がすぐに答えを渡さない
その考え方は、日常の学校生活にも表れています。岡田氏によれば、入学したばかりの1年生の中には、「自由な学校だから何をしてもいい」と受け取る生徒もいるといいます。
例えば、コーチが時間をかけて準備した授業の最中に、ゲームをしている生徒がいる。そこで大人が「ゲームをやめなさい」と命じて取り上げることは簡単です。しかし同校では、できる限り本人に考えさせます。コーチはどう感じるのか。その時間を自分はどう使いたいのか。
岡田氏は、「自らやめるのと、取り上げてまた返した時にやり始めるのとでは大きな違いがある」と話しました。外から見れば、同じ「ゲームをやめた」という結果かもしれません。しかし、誰が判断したのかは違います。大人が答えを渡さず、生徒自身が決めるまで待つ。それは、単に好きなようにさせることとも違います。
岡田氏は、主体性と同時に「違いを受け入れること」が必要だとも強調しました。自分はこうしたい。その意思を持ちながらも、「相手の気持ちになって考える。相手の立場に立って考える」。その両方があって初めて、異なる人と一緒に物事を進めることができます。
つまり、主体性とは、自分だけを見て判断することではありません。他者との関係の中で、自分の行動を自分で選ぶことでもあります。
「ぐちゃぐちゃ」の先にある変化
岡田氏は、1年生の前期について、外から見ると「ぐちゃぐちゃな学校」と言われることもあると率直に話しました。それでも、2年生、3年生と進む中で、生徒たちは変わっていくといいます。
オープンスクール前日には、3年生による海外研修の報告会が行われていました。岡田氏は東京で予定があったものの、生徒から「どうしても聞いてくれ」と言われ、日帰りで今治に戻ったそうです。そこで聞いた発表に驚いたといいます。単に人前で堂々と話せるようになったからではありません。海外で経験した出来事を話すだけでなく、自分が何を感じたのか、どんな価値観を持つようになったのかまで、自分の言葉で表現していました。
「生徒たちが証明してくれている」
岡田氏は、生徒たちの姿を見て「俺は間違ってなかったかもしれない」と感じたと振り返りました。
入学した瞬間から「主体的な生徒」が出来上がっているわけではありません。判断して、失敗して、もう一度考える。その経験を重ねた先に、3年生の姿があります。
オープンスクールそのものが、学校の日常を映していた
この日のオープンスクールにも、整い切っていない場面はありました。開始直前まで動線を確認していました。予定より時間が押す場面もありました。学園長さえ、自分の出番を知らないまま会場に来ていました。
もっと大人が細かく管理すれば、よりスムーズなイベントにすることはできたかもしれません。しかし、その分だけ、生徒が判断する場面は減ります。今、何をすべきか。誰に相談するのか。参加者はどう感じているか。予定と違った時にどう立て直すのか。この日は、そうした問いが次々と生徒たちに渡されていました。
終了後には、片付けを行い、その後に全員で振り返りのミーティングをする予定も組まれていました。来場者が帰れば終わりではありません。自分たちの判断の結果を振り返り、次につなげるところまでが学びです。
1年生がつくったオープンスクールは、学校を紹介するイベントであると同時に、FC今治高校里山校がどのように生徒に判断を委ね、失敗も含めて学びに変えようとしているのかを、そのまま来場者の前に開く場でもありました。