「教育サービス」を見極め、そのポテンシャルを引き出す

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RESの視点

【RESの視点】Vol.1 教育論は学習論を起点に

教育理念に立脚することはかなり困難な状況になっている。

教育に求められること

教育論を考えるにあたっては、主要な教育理念があることを知っている必要があります。キエラン・イーガンの『想像力を触発する教育』によれば、教育は、少なくとも以下の3つの要請に基づいています。

1) 教育の目的は、子どもを大人社会の規範、価値観、習慣に少しずつ適応させることだとするもの
2) 教育は、子どもの精神にとって最良のものを与えるべきだとするもの
3) 精神も肉体も、成熟するまで段階的な過程を経るので、教育はこの段階的な発達過程をできるだけ助けるものだとするもの

現在の日本(あるいは世界)の状況を踏まえたとき、これらのうち何に重点をおいた教育が望ましいかを決めることは、極めて困難です。

困難な「教育」理念の実現

地球温暖化であれ、ウクライナやイスラエルをめぐる地政学的動向であれ、インフレ経済への移行であれ、少子化の進行の速さであれ、人工知能をめぐる技術の進歩であれ、これだけ変化が激しいと将来の見通しは不確実としかいいようもありません。将来の見通しについて共通の認識をもつことが難しい以上、大人社会で重要とされる規範、価値観、習慣がどのようなものかを、誰が確信をもっていえるでしょうか。

「子どもの精神にとって最良のもの」というのが、「社会で生きていくための最良のもの」とも限りません。子どもの精神を開花させる情操教育によって、現代の資本主義が浸透している社会で子どもが本当に生き残ることができるのかといわれたら、心許ないでしょう。何が最良かということ自体が答えるのが難しい問いです。

成長段階での発達過程をできるだけ助けるというのはよいとしても、一人ひとりの「自然な」「自発的な」発達に合わせるための教育を提供するのは、そう簡単ではありません。今の日本の制度疲労を起こした公教育の体制で本当に提供できるのでしょうか。

それぞれ、理念としては納得感があっても、実際にとなると様々な論点に直面します。どのような教育サービスが望ましいかを判断するのは極めて困難なのだとするところからスタートする必要があります。

「学習」という視点からのアプローチ

この困難を、乗り越えるには、「教育」という視点よりも「学習」という視点からアプローチした方が効果的ではないかと考えます。教育と学習は切っても切り離せない関係にありますが、そもそも教育や学習は、何のためにあるのでしょうか。

根っ子は、それぞれ別のところにあります。教育(つまりTeaching )は、生物としての人間が集団として生存確率を上げるために必要なことであり、学習(つまりLearning)は、個々の人間がそれぞれの生存確率を上げるために必要なことといえます。

集団としての方向が見いだしにくい環境にある以上、個々の人間が「生きるための力」とはどのようなものか、それはどのように身につけるべきなのかを考えるところを起点にするべきではないかと思うのです。

「学習論」を起点に、時代にあった「教育サービス」のあり方を考えるべきではないか。
RESは「教育」NPOですが、「学習」NPOでもあるのです。

本コラムでは、このような視点から教育を見ていきたいと考えています。

 

参考文献・引用・注釈

『想像力を触発する教育』キエラン・イーガン(髙屋景一・佐柳光代 訳)、北大路書房

 


RES=教育サービス開発評価機構

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