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イベントレポート
RES輪読会 vol.2『数学する身体』がひらいた「わかる」の地平:森田真生 著『数学する身体』【イベントレポート】

――数学は、頭の中だけで起きているのではありません。
2025年9月、RES主催の第2回輪読会が開催されました。
今回の課題図書は、森田真生さんの『数学する身体』です。
ファシリテーターを務めたRESのAは冒頭、「非常に難しい本で、解釈できていないところもあります。ぜひ皆さんで議論したいです」と宣言。あえて“未完成”な状態から始めることで、参加者全員による“インタラクティブ”な読書会を目指しました。
「著者になりきって読む」
まず共有されたのは、輪読会の前提となるRESの活動について。
RESは教育サービスのあり方を検討し、提供者間のネットワークを強める団体であり、学びを深める場としてこの会を開いています。その上でAは、『数学する身体』という書籍が「数学の起源」から出発し、「わかるとは何か」へと射程を広げる本であること、そして補助線として『計算する生命』も一部参照したことを説明しました。
そこでAが提案した読み方が、非常に象徴的でした。
「森田真生さんになりきっていきましょう」
同書では、数学者・岡潔からの着想として「対象に“なりきる”ことで初めてわかる」という発想が語られています。ならば、著者がなぜこの本を書いたのか、何を伝えたかったのかを“著者の視点で”追体験しながら読むことが、理解への近道になるのではないか――。
この輪読会の方法自体が、同書の主題である「わかる」の実践になっていく、という仕掛けです。
本の骨格:起源―身体化―解放―風景―情緒―自己変容
Aは本の全体像を、大きく三点に整理して提示しました。
- 数学は「身体にはない正確で確実な知」を求める欲求の産物であり、同時に身体の能力を補完・延長する営みであること。つまり「身体なしに存在しない」ということ。
- 数学的思考は脳内だけでも身体運動だけでもなく、脳・身体・環境を横断して生じること。
- 数学は固定した本質ではなく「絶えず動き続け、変化し続ける」ものであり、著者は「数学とは何か」よりも「数学とは何であり得るか」に向かっていること。
章立てとしては、「数学の起源と道具性」→「チューリングによる数の『解放』」→「現代数学の加速」→「岡潔の思想」→「わかる」へ、という流れです。当日の議論も、この骨格に沿って展開していきました。
数は「道具」であり、やがて身体に取り込まれる
前半で参加者の関心を集めたのが、「数は認知能力を補完し、延長するために生み出された道具だ」という起源論でした。
人は同じ記号が並ぶと正確に把握しづらく、ぱっと認識できるのは2〜3個程度までだそうです。そこで算用数字が発明され、計算と記録が分化し、道具としての数が使いやすくなっていきます。
面白いのは、その道具が“内在化”する過程です。ある参加者は、この「道具→身体化」という見取り図を“学習者の物語”として読み替えました。歴史上の数学者たちも、発見者である以前に学習者であり、身体を使って数を体得していくプロセスは数学以外の領域にも流用できるのではないか――。学びを「知識の獲得」ではなく「身体の更新」として捉える視点が、ここで強く補強されました。
また、紙と鉛筆での操作が、訓練によって頭の中の操作へ移る。道具としての数が「自分の一部」になっていく――Aはこれを「身体化(内在化)」として読み解きました。
ひとたび身体化されると、以前は明らかに「行為」だったものが「思考」とみなされるようになります。行為と思考の境界は案外微妙で、行為が思考になり、思考が行為になることもある。数学はこの境界線上で起きている、という見立てが浮かび上がりました。
脳・身体・環境:数学は「横断」して生まれる
続く論点は、数学を脳内現象として閉じない視点です。
Aは「数学的思考は脳と身体と環境の間を横断しています。脳内だけを見ても、身体の動きだけを見ても、そこに数学はありません」とする箇所を要約。脳は環境と身体を仲介して有効な行為を生み出す機能を持つのだ、と紹介しました。
数学は個人の頭の中というより、身体・社会・進化史を含む広い時空間を舞台に生じるもの。ここで数学は、「抽象の帝国」ではなく、むしろ生の営みの延長として捉え直されました。
証明の発明、そしてチューリング
歴史パートでは、古代ギリシアで「証明」という新しい数学的行為が成立し、数学が行為として制度化されたことが確認されました。
その流れを決定的に変えたのが、チューリングです。
Aは、チューリングが数を人間の身体から解放し、理論的には数が「計算される」だけでなく「計算する」ものになった、と説明しました。プログラムとデータの区別が解消され、現代コンピュータの理論、そして人工知能研究へとつながっていきます。これにより、20世紀の数学が普遍的方法を追求する方向へ加速したのです。
会場からは、この話がAIへつながると知って「数学がいろんな領域と結びついているのに、なぜ学校で誰も教えてくれなかったのか」という率直な悔しさも聞かれました。数学が“教科”として閉じられた瞬間、世界との接続が見えにくくなる――教育上の重要な論点も顔を出しました。
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