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インタビュー
第11回 苫野一徳さん(哲学者・教育学者、熊本大学教育学部准教授)『受験を「自由の相互承認」から問い直す——序列ではなく、一人ひとりの自由を支える選抜へ』【インタビュー】

苫野一徳さん(哲学者・教育学者、熊本大学教育学部准教授)へのインタビューでは、「受験」を、単なる制度論ではなく、教育の根本目的から捉え直す対話が展開された。苫野さんが一貫して強調したのは、受験や入試のあり方は、それ自体だけで考えるものではなく、「そもそも教育とは何のためにあるのか」という上位の問いから見直されるべきだ、という点である。その中心に置かれていたキーワードが、「自由の相互承認」だった。
【2026年4月11日開催の「RESカンファレンス2026」に苫野一徳さんが登壇されます】
Contents
教育の最上位目的は「自由の相互承認」
—— まず、苫野さんの教育論の最上位目的を、改めて一言で言うと何でしょうか。
苫野 やはり一言で言えば、「自由の相互承認」ですね。
—— その「自由の相互承認」について、まだ知らない方も多いと思います。簡単にご説明いただけますか。
苫野 これは人類の一万年に及ぶ戦争の歴史から、つかみ取った英知の中の英知というべきものと私は考えています。人間は、おそらく動物とは違って、「生きたいように生きたい」という自由への欲望を自覚的に持つ存在です。だからこそ、その自由がぶつかり合い、争いが起きる。定住・農耕・蓄財が始まって以降は、とりわけ富の奪い合いが起き、人類は長いあいだ戦争を続けてきました。
その歴史のなかで、ルソーやヘーゲルのような哲学者たちが見いだした重要な答えが、「みんなが自由に生きたいと願う以上、お互いの自由を認め合うしかない」ということです。すべての人が対等に自由な存在であることを認め合う。互いの自由を侵害しない限り、生き方の自由や幸福追求の自由、思想信条や信教の自由などを承認し合う。これが「自由の相互承認」であり、民主主義の根本原理であり、公教育の根本原理であると考えています。もちろん、私のオリジナルの原理ではありません。哲学者たちが、長い思考のリレーを通して磨き上げてきた原理です。
—— ここ数年で、「自由の相互承認」に対する社会の理解は進んできていると感じますか。
苫野 まだまだだとは思いますが、少しずつ広がってきている実感はあります。政策レベルでいうと、私も委員をしていた経産省の産業構造審議会の最終まとめに、この言葉がこれからの教育の指針として書き込まれたこともありました。自治体の教育振興基本計画の重要な文言として使ってくださる例も出てきています。学校や自治体、先生方の中で、これが公教育の指針だと受け止めてくださる方は、少しずつ増えてきたかなと思います。
受験は、もともと「座席の分配」の仕組みだった
—— そうした考え方が進んでいく中で、望ましい入学者選抜制度とはどのようなものになるのでしょうか。
苫野 高校・大学あたりを中心に考えると、これまでの入試は、結局のところ「限られた座席をどう分配するか」という仕組みだったと思うんです。近代化の中で教育が立身出世の道具となり、社会の限られたポストに、どれだけ適切に人を割り振るか。そのために、学問体系を上から薄めていって、小学校から大学へとつながる一つの序列を作り、学力によって振り分けていく、という発想が強かったわけです。
でも、公教育の本質に立ち返るなら、話は変わります。すべての人の自由と自由の相互承認を実現するために、教育システムをどう再設計するか。その観点に立つなら、一人ひとりが、できるだけ自由になれるような進路選択ができる必要があります。しかも、今はかつてのような単線型の立身出世コースではありません。生き方そのものが多様化している。だからこそ、入試制度の基本路線は「序列化の伴わない多様化」であるべきだと、私は考えています。
—— 「序列化の伴わない多様化」というのは、どういうことでしょうか。
苫野 たとえば、体育大学に進む人と芸術大学に進む人を、同じ物差しで測って序列化するのは、そもそもおかしいわけです。そこに単純な上下関係はない。もちろん、いわゆる学力競争のルートを望む人がいるなら、それはあってよい。でも、それとは別に、芸術、スポーツ、教育など、さまざまな道があり、それぞれに固有の価値がある。そうした「そもそも一列に並べられない多様な進路」を、もっと制度の中で認めていく必要があると思います。
公平性と、一人ひとりの成熟は両立できるか
—— そうなると、いわゆる一発試験のイメージも変わってきそうですね。いろいろなタイミングで、いろいろな機会があってよい、という発想にもつながりそうです。
苫野 まさにそうです。私は以前、教育学部にも、こういう形はどうかと提案したことがあります。たとえば、一か月、二か月くらいの試験期間を設けて、いくつか大きなテーマを出すんです。「現代学校教育の病理とその解決」や「世界の中の日本の学校教育の展望」といった問いを示して、この期間にどんなリソースを使ってもいいから、徹底的に自分なりに考えてきてください、と。
専門家に会いに行ってもいいし、AIを使ってもいい。とにかく考え抜いて、その成果を持ってきてもらう。そうすれば、短時間の筆記試験では見えにくい、その人の思考の深さや、本当に考え抜いたのか、付け焼き刃なのかも見えてきます。結局、どういう学生に来てほしいかというアドミッションポリシーに応じて、選抜のあり方が変わるのは当然なんです。だから、それぞれの高校や大学が、特色ある選抜をしていくのは、長い目で見れば必然だと思います。
—— ただ、万人にとっての公平な選抜と、一人ひとりの成熟を支える教育は、相反する面もあるように思います。両立は可能でしょうか。
苫野 私は、今申し上げたような発想なら、比較的両立できると思っています。公平というのは、「全員が同じテストを受けること」ではありません。一人ひとりが、自分に合った選択肢を持ち、それに向けて努力できること。それこそが重要です。そうなれば、動機も湧きやすいし、成熟にもつながりやすい。
もちろん、入試が多様化しても、経済格差による有利不利は残ります。今のペーパー学力もそうですが、多様な入試になっても、経済的事情によって差が出ることはあり得る。そこは別途、きちんと考えなければいけない課題です。ただ、方向性として、「序列化の伴わない多様化」は、その問題を一定程度乗り越えるアイデアになりうると思います。
苫野一徳氏提供
P-EBPは「何のための選抜か」から考える
—— 苫野さんが実践されているScTN(一般社団法人School Transformation Networking)では、EBPM(Evidence Based Policy Making)ではなくP-EBP(Philosophical principles and Evidence Based Practice / Policy)を掲げています。この発想は、受験や入試を考える上で、何を変えていくものなのでしょうか。
苫野 P-EBPは、まさに「何のための入試か」「そもそも選抜はどうあるべきか」「そもそも選抜すること自体をよいといえるのか」といった、根本の目的や価値から考える発想です。
EBPMだと、たとえば「どういう授業をすれば共通テストに有効か」といった具合に、いま測っているものを前提に、その成果を上げる方法を探しがちです。でもP-EBPでは、「私たちが測ろうとしているもの自体が、本当に良い教育に資するものなのか」と問い直す。つまり、まず目的を置き、その目的に照らして、何をどう測るのがよいかを考える。そういう意味で、P-EBPは今後の入試のあり方そのものを含み込んで見直していく考え方だと思います。
—— それは学校現場では、どのように実践されているのでしょうか。
苫野 そのために作ったのがScTN質問紙です。ここでは、「自由」「自由の相互承認」、そして「一般福祉」という三大原理を置いています。一般福祉というのは、ある政策が一部の子どもだけでなく、すべての子どもの自由の促進につながっているかどうか、という教育政策の正当性の原理です。
それぞれについて、「どういう状態なら自由が実質化しているのか」「どういう状態なら自由の相互承認が実質化しているのか」「どういう状態なら一般福祉が実現しているのか」を、測定できるようにブレイクダウンして、学校ごとに質問紙で可視化できるようにしたわけです。受験勉強の効率だけに目を向けるのではなく、子どもたちの自由や相互承認がどれだけ実現しているかに目を向ける。その実践例の一つですね。
学校が変わると、子どもも保護者も変わる
—— この質問紙を実践している学校では、どのような変化が起きているのでしょうか。
苫野 個別の学校名は控えますが、かなりはっきりした変化が見えてきています。私は以前から、「学びの個別化・共同化・プロジェクト化の融合」が大切だと提唱してきました。まさに「自由」「自由の相互承認」「一般福祉」に資する学びのあり方です。これを実践すると、ScTN質問紙の結果が驚くほど高く出るんです。不登校の子どもがいなくなったり、自己受容感、他者受容感、自己効力感、集合的効力感などが、従来型の一律一斉授業の学校と比べても格段に高くなる。理論的にはそうなるはずだと言ってきましたが、この十年で実践校が増え、質問紙もできたことで、実際に実証できるようになってきました。
—— そうした学校では、保護者の反応も変わっていくのでしょうか。
苫野 そうですね。最初は、保護者もかなり懐疑的です。自分たちが受けてきた教育と、あまりにも違うからです。でも、子どもたちが楽しく学校に通うようになると、だんだん協力的になっていきます。
たとえば自由進度学習だと、先生がずっと前に立って一斉に授業するわけではありません。子どもたちが自分で計画を立て、自律的に学び、必要に応じて先生が10分、15分でピンポイントに教える。親から見れば、「先生は教えなくていいんですか?」と驚く。でも、むしろそのほうが、子どもに応じて必要なことを必要なだけ教えられるので効率的でもあるんです。
だからこそ、保護者との対話が大切です。私は、校内研修に保護者や子どもも参加できるようにして、コミュニケーションの機会を増やすことを勧めています。実際、そこで理解が進んでいくことはありますね。
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