『RESmedia』は、「すべての教育の知見と情報をRESmediaに」を目指し、カテゴリーの壁を超えた新しい教育の形を探究するポータルサイトです。
共通テストはなぜ「大建築物」になったのか
—— 大学入学共通テストのような大規模選抜では、どのような力を測るべきだとお考えですか。
南風原 共通テストは、多くの大学で使えるものである以上、基本的には学習指導要領に則した、共通性の高い力を測ることが必要です。現行の共通テストはよく工夫されてはいますが、「思考力・判断力・表現力」を、知識とは別物として取り出して測ろうとして苦労しているように見えます。
実際には、知識問題と思考問題をきれいに分けるのはとても難しい。専門家同士でも、「これは知識か、思考か」で議論が止まってしまうことがあるほどです。それでも、制度上「思考力を測れ」と求められるので、何とか形にしようとして、複数資料を読ませたり、比較させたり、複雑な構造の問題を作る。結果として、作る側も受ける側も大変な、“大建築物”のような試験になっているんです。
私は、思考力は知識と切り離して問うのではなく、「使える知識」「深い理解を伴う知識」として問うほうが自然だと思っています。表面的に覚えて吐き出す知識ではなく、応用できる、説明できる、問い返しにも耐えられる知識ですね。そういう知識を育てるには、当然、思考も判断も必要になる。「それだと知識問題だと言われる」と恐れていたら、あらぬ方向に進んでしまいます。
大学入試学会シンポジウム『「大学入学共通テスト」の研究』(2024年)スライド(南風原氏提供)
—— 学校現場では、「主体的に学ぶ態度」の評価も大きなテーマになっています。
南風原 努力していること自体は、褒めてあげればいいと思うんです。でも、それをそのまま成績評定に入れるとなると、話は別です。空回りしている努力を、そのまま評価するわけにはいかないですからね。
ルーブリックも、基本的には“できたこと”を測るものです。次に何を目指せばよいかが見える、という意味では有効ですが、「やる気はあるが、まだ成果に結びついていない」という部分をそのまま救えるわけではありません。主体性を評価したい、という気持ちはわかりますが、それを成績と結びつけて評定するのは、やはりかなり難しいですね。
「一発勝負」を和らげるには、何を削るべきか
—— 入試が一発勝負になる弊害を減らす方法はあるのでしょうか。
南風原 ひとつの方向としては、アメリカのSAT(Scholastic Assessment Test)やACT(American College Testing)のように、複数回受けられる仕組みがあります。体調など、その日の偶然に左右されにくくなる点では、とても良いですよね。
ただ、日本では「高校三年の二学期まではしっかり学ぶべきだ」という考えが強いので、試験時期がどうしても後ろに寄る。その結果、複数回受験と相性が悪くなる。また、今の共通テストのような複雑な問題を何種類も作って、しかも同じ難易度で並べるのは、現実的に非常に難しいんです。
要するに、「思考力も測れ」「でも複数回実施しろ」という要求が、互いに整合していない。何かを実現したいなら、何かは切り落とさないといけないんです。もし複数回受験を本気で目指すなら、問題はもっとシンプルにして、二回くらい受けて良いほうを使えるようにする。そのほうが、作る側にも受ける側にも現実的だと思います。
—— 今は総合型選抜の比率も高まっています。これは良い動きだと言えるのでしょうか。
南風原 一発試験で力を発揮したいタイプもいれば、コツコツやってきたことや、深く探究してきたことを見てほしいタイプもいます。生徒には本当にさまざまなタイプがいるんです。何かに強く没頭してきた子にとって、その成果が評価される推薦や総合型は、よい仕組みだと思います。
ただ、それを全員に求めるのは違います。探究が合う子もいれば、「探究、探究」と言われることで、かえって学校がつらくなる子もいる。だから大事なのは、どれか一つに一本化することではなく、複数の道があり、生徒が選べることです。
それに、受験は本当の意味で「一発」でもありません。共通テストは一回でも、個別試験は複数の大学を受けられる。人生全体で見ても、18歳で進路を固定しなければいけないわけではない。25歳から学び直しても、全然遅くないんです。そう考えれば、「一発勝負」という見方そのものを、少し見直してもよいのかもしれません。
AI時代にも、問うべき本質は変わらない
—— AIが知識を代替する時代、入試で測るべき能力は変わっていくのでしょうか。
南風原 私は、本質的には変わらないと思っています。大事なのは、外にある情報としての知識ではなく、自分の中にどう知識が構造化されているかだからです。
AIに聞けば、答えは出てくるかもしれません。でも、考えたり、話したり、発想したりするときに、その都度外から取り出すのでは間に合わないし、使えない。自分の中にある知識の質が高いからこそ、それが思考にも、コミュニケーションにも、生きてくるわけです。
学校教育も同じで、AIを使うかどうかより、AIを使うことが子どもの内面の質を高めるのかどうかが重要です。質の高い成果物ができることと、子どもの中身が育つことは別問題です。だから、試験場で問うべき核心は、AI時代になっても変わらないと思います。
多様な評価の道を
—— 学校運営の立場から、理想と現実の折り合いはどうつけているのでしょうか。
南風原 少なくとも私のいる広尾学園では、その意味での苦労はあまりありません。制度上の要請はもちろん踏まえますが、何より大事なのは、預かった生徒を伸ばすこと、進みたい進路を実現できるよう支えることです。「外からの要請のせいで本当に大事な教育ができない」という感覚はないですね。
—— そのうえで、学校として目指す教育は何でしょうか。
南風原 広尾学園の公式の教育目標としては「自律と共生」があります。それに加えて、私自身がよく使う言葉は「知性と品格」です。知性は、単なる知識ではない。品格は、責任ある市民として、どう生きるかにもつながる言葉です。
品格という言葉は、生徒にも保護者にも比較的伝わりやすい。「今日一日の自分のふるまいは、品格という点でどうだったか」と振り返ることもできる。しかも、知性も品格も、学校を卒業して終わりではなく、大人になってからも高め続けるものです。そういう意味で、共有しやすく、しかも長く持ち続けられる目標だと思っています。
広尾学園中学校・高等学校校舎(広尾学園提供)
—— 最後に、日本の入試制度をより良くするとしたら、どんなゴールを目指すべきでしょうか。
南風原 「より良く」と言うなら、現状で何が問題かを見定める必要があります。制度全体を見れば、一般選抜もあり、推薦も総合型もあり、選択肢はすでにある。私は、現状に大きな欠陥があるとは思っていません。
ただ、身近に感じる課題としては、やはり中学入試の過熱があります。受験の若年化が進み、小学校教育との兼ね合いや、受験後に燃え尽きてしまう子どもたちのことを考えると、そこは気になるところです。
そのうえで、目指すべきは「唯一のベストな試験」ではないと思います。この子に向いた評価のされ方、あの子に向いた評価のされ方がある。一本化すれば、どうしても合わない子が出てきます。だから、多様な良さをそれぞれ生かせる仕組みのほうがよい。
細かな点数が出ること自体も、悪いことではありません。1点刻みが問題なのではなく、そのデータをどう使うかが問題なんです。まずは精密に測る。そのうえで、それをどう判断に生かすかを考える。入試をめぐる議論は、評価の多様性と使い方の成熟に向かうべきなのかもしれません。
南風原 朝和(はえばら・ともかず)
東京大学教育学部長・大学院教育学研究科長、理事・副学長(入試担当)、高大接続研究開発センター長を歴任。高大接続システム改革会議委員、大学入試センター運営審議会委員、日本教育心理学会理事長、日本テスト学会理事長なども務めた。専門は心理統計学、テスト理論。
【主な著書】
『心理統計学の基礎―統合的理解のために』
『続・心理統計学の基礎―統合的理解を広げ深める』(以上,有斐閣)
『量的研究法』(東京大学出版会)など。
1
2