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インタビュー
第10回 南風原朝和さん(東京大学名誉教授、広尾学園中学校・高等学校校長)『受験は何を測るべきか——「一発勝負」や「思考力」論を越えて、入試の本質を考える』【インタビュー】

今年度、RESが掘り下げるテーマの一つが「受験・入試」だ。今回の取材では、入試制度の本質、公平性、共通テストのあり方、一発勝負の弊害、総合型選抜、そしてAI時代における学力観まで、多面的な論点が交わされた。
制度をどう変えるかという議論は多い。しかし、その前に立ち止まって考えたいのは、そもそも入試は何のためにあるのか、何を測るべきなのか、という根本の問いである。南風原朝和さん(東京大学名誉教授、広尾学園中学校・高等学校校長)に、測定論と教育現場の双方の視点から、現在の入試を語っていただいた。
【2026年4月11日開催の「RESカンファレンス2026」に南風原朝和さんが登壇されます】
入試の役割は「適格性の確認」と「順位づけ」
—— まず、入学者選抜の試験は、本質的に何のための制度であるべきでしょうか。
南風原 大きく分けると、役割は二つあると思います。ひとつは、その学校、たとえば大学であれば、その大学の教育プログラムについていけるだけの準備状態にあるかどうかを見ることです。つまり、「この教育を受けて、きちんと学べるか」の判定ですね。もうひとつは、そうした準備がある受験生が定員を超えたときに、誰から順に取るかを決める、順位づけの役割です。
この二つは、性質が少し違います。前者は絶対評価、後者は相対評価です。そして、どちらが重くなるかは学校によって異なります。志願者が多い大学では順位づけの意味が大きい。一方で、定員確保が課題になっている大学では、「本当に教育が機能するか」を見ることのほうが重要になります。
—— 高校入試になると、内申点も入ってきますよね。
南風原 そうですね。内申点は、単に「これまでちゃんと勉強してきたか」を見るだけではなく、「日常的にきちんと勉強しなさい」というメッセージの意味合いもあります。公立高校入試では、その性格がよりはっきり出ると思います。
公平性は、まず「妥当性」の問題である
—— 先生のご専門である測定論の立場から見ると、公平性とはどう定義されるのでしょうか。
南風原 測定の観点では、「公平」は、より上位の概念である「妥当性」の一部として考えます。つまり、「測るべきものを、きちんと測れているか」ということです。たとえば、本来測りたい力の水準が同じなのに、性別や障害の有無など、測りたいものではない要因によって得点差や合格率の差が出るなら、それは妥当性が低い。そういう意味で、「公平でない」というのは、妥当性の低さの重要な表れなんです。
ただし、それだけでは済まない面もあります。たとえば、同じ学力水準に達していても、ある子は塾や家庭教師を利用できた、別の子はそうした支援なしに、アルバイトなどをしながら努力してきたかもしれない。測定上は同じ得点でも、そこに至るまでの条件は違うわけです。さらに言えば、生まれ持った条件の差もある。こうした問題は、測定論だけでは割り切れない「社会的な公平性」の話になってきます。
その不公平がどの方式で大きくなるかは簡単ではありません。一発試験のほうが、家庭環境を見えにくくして「努力一本」で公平に見える面もある。一方で、推薦や総合型では、海外経験など家庭の資源が反映されやすいこともある。だから、どちらが絶対に公平、不公平とは言い切れないんです。

日本教育心理学会シンポジウム「大学入試における公平性の問題をひも解く」(2024年)スライド(南風原氏提供)
対策は避けられない。ならば「良い学び」になるように作る
—— 日本では、学習指導要領という共通の基準があります。それに則した試験であれば、本来は極端な差がつきにくい、という見方もありますよね。
南風原 大学入試では、たとえば東京大学のように、かなり厳密に学習指導要領を意識して問題を作っているところはあります。高校で学ぶ範囲から逸脱しないよう、細かく確認していると聞いています。
ただ、私学ではそこまでコントロールしきれない場合もありますし、私立中学入試になると、もう学習指導要領とは別のゲームになっている面があります。小学校3年生、4年生の段階から塾に通い、多額のお金と時間をかけて準備する。そうなると、「学校で習ったことを問う試験だから大丈夫」とは言えません。特に中学受験では、家庭環境の影響がかなり大きいですね。
—— テストである以上、どうしても「対策」は生まれますね。
南風原 それは必然だと思います。だからこそ大事なのは、対策をすること自体が、そのまま良い学びになるような出題にすることです。対策が、単なるテクニック習得ではなく、「学んでほしいこと」そのものになっているかどうか。そこが重要なんです。
東京大学などは、その点をかなり意識していると思います。良い問題であれば、受験するしないにかかわらず、学ぶ価値がある。一方で、多くの私立中学の算数のように、処理量が多く、素早く、しかもテクニックがないと解けないような問題が増えていくと、選抜のためには機能しても、本来の学びという観点からはどうなのか、検証していく必要があると思います。
—— 長文化した問題では、処理速度や読むスピードもかなり求められます。
南風原 そうなんです。もちろん処理速度が不要とは言いません。でも、それがその後の学びや研究にとって本質かというと、そうとも限らない。いわばハードウェアのスペックのようなものを測っている面がある。子どもたちが夜遅くまで勉強して、そこを研ぎ澄ませるべきなのかと考えると、いろいろ思うところはありますね。
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